インターネットは既存メディアを放逐、代替するものではなく包含するものと云うのが本少考の要諦である。
当論考は既に吾人に広く議論されし処なるを管見に漏れ、
車輪の再発明、屋上屋を架す愚挙に当たるをも顧みず此処に記しおくのは略己の為なるのみ。
往々にして新理論は前理論を否定・対立するものになく、
例えば相対論が既成力学をも内包せし処、
吾人の通常の生活には毫も問題なくニュートン力学の利用されるが如く、
インターネットは既存メディアを包み込み尚、存続せしめるは、
メディアと云う餡を包み込む餅が如きものにて、
此処に形而上的大福餅を尚メディアと称するか、
インターネットと称するか、将又此れ等に異なる名称にて呼ぶかは、蓋し後世の決めるのみ。
従って主たる既存メディアのテレビもラジオも新聞も雑誌も、
インターネットの侵食により存続を危ぶまれるが如き位置にはなく、
大福餅的パラダイムの中にこそ既成スタイルを保つこと能う可けれ。
対立を前提に含有せらるを拒まば、即ち凋落は自然の摂理にて、
当事情を鑑みれば恐れること無く、
また小さき痛痒を遠避け大事に至るは敢て賢者の犯すべき振る舞いに有らざるかに存ぜば、
関係者の多少痛みを伴うとも突入せるを推奨せしもの也。
既存メディアに双方向性同時多発通信的機能を齎すインターネットの
斯くも衝撃の大なれば、所謂既存メディア関連者を脅かすに充分にして、
対立的概念を産み出し至るかに存知、
此れをニュートン力学が其の融通無碍、柔軟な構造により
「同時刻の相対性」と「光速度絶対」を呑み込むべきとの逆概念の呈示も空しく響き、
前時代的状況を現代的状況が呑み込むかの比喩の妥当に有らざれば、
先ず成立せる特殊を一般に敷衍して相対論は完成に近付きしたる暗喩に、
幾らか受け入れも容易ならざらん。
然れば更に此れにて留まらず、
マスコミに対するミニコミ抔含め従来はメディアとして考慮のされ得ぬ、
地域コミュニティーや商店街、回覧板、壁新聞に学級新聞、果ては井戸端会議まで既存メディアの一部として
呑み込むものこそインターネットであると愚考せん。
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