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- 自働化
- ジャスト・イン・タイム
当該書より幾つかを引用させていただけば
私は (ry 年功を下手機械も大事に大事に使うことを提唱したいのである。と常々理解に苦しむ減価償却の性質を見事に喝破されており、また、
企業の経理用語に、減価償却費とか残存価格とか、簿価などどいうのがあるが、 これらのものはあくまで会計上、税法上、便宜的に定めた人為的なものである。 こうした用語が本来、実質的な機械の使用価値とはなんの関係もないことを忘れてしまったような 言動がとかく多いのは、はなはだ残念である。
(ry
このような発想はまことに貧しいものであり、だいいちまちがっている。
このごろの人は、私からみると、 計算が速すぎて困る。(ryとある抔は、まるで太閤秀吉が 「鉄砲を一〇拵えれば人が一〇人死ぬと云うのは凡庸でも出来る計算だ、 鉄砲を千丁拵えれば誰も死なぬと大将ならばこうこなければならぬ!」 と云い放ったかの如くで、死ぬの死なぬのと 喩えは悪いかもしれませんが大局観とは此の様なものであるかと思わせられます。
カローラは好評でかなりよく売れた。 立ち上がり五、〇〇〇台ぐらいだろうと思ってスタートした。 エンジン担当の課長に、「五、〇〇〇台を一〇〇人以下でつくるよう」指示した。 すると二~三ヶ月して、「八〇人で五、〇〇〇台できるようになった」と報告してきた。 ところが、その後もカローラが売れ続けた。 そこで「一万台は何人でできるか」と聞いたら、たちどころに、 「一六〇でつくれる」という答えが返ってきた。 私はどなりつけてやった。 「二掛ける八イコール一六なんて計算は小学校で教わった。 この年になってお前から教わるとは思わなかった。 ひとをバカにするな!」と。
話はトヨタに終始するかと云えば然にあらず、 大量生産の元祖、ヘンリー・フォード一世に迄及ぶのも、 氏の生産方式に対する長い思考と試行が窺われるかの構成にて、 興味深きは彼のフォード考案にしてT型フォード生産に大いに活躍せし ベルトコンベアー式オートメーション大量生産方式、マスプロダクションの権化は フォードその人の本意ではなかったのではあるまいかと云う推察のなされ、 玆を称して未完成のフォードシステムと喝破し、 本来フォードの望む方式の完成形は其れを本来の流れ作業と受取れば、 ジャスト・イン・タイムに近いものでなければ理屈に合わぬと云う、 考察は氏自身の推進したトヨタ生産方式に対する揺ぎ無い自信と、 閲するに単なる手前味噌とは看過出来ざる文脈を為しています。
フォードの全盛期の著作も引用され、 其処には一九二〇年代にして既に、 例に依って機械に使われる人間は今人間らしさを失っているので取替えさねばならぬ、 と云う、エジプトの太古から変わらぬ例の 「今の若者」論と同種の論意の取り上げられるも可笑しくあります。
此れを敷衍して氏の強固なる主張の語られるを引用すれば
「効率」とはけっして量とスピードの関数ではない。とあり、此れを数式で表せば 効率≠f(量*スピード) となるでしょうか、孰れにしても当方の意を強くせしめられます。
本書は昭和十一年に豊田喜一郎氏の文責によりなれど未発表の 「トヨタ自動車が今日に至るまで」も多く引用され、 豊田佐吉翁及びヘンリー・フォード一世の文献も 氏の求むに応じて粗原文で適宜引用されますから 一粒で何度も美味しい構成となっています。
扨も情報は何事も其の原典に当たるべしとは、 云い得て妙なる箴言も斯く在る哉と得心すること頻りなりけり。