林檎の育成について、どれ程分かっていないかと申せば、 当アーティクルに当タイトルを立てるが如きにて、 農薬を使用しない林檎栽培は何の植物より有り得ないと云うのが常識であるのは、 実は今の林檎のイブの食せし野生の林檎とは最早異なった果実なるらしく、 先ずは其れを本書
奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録で学んでより、読み進めるに 此の農家の間の常識をも覆す可く艱難辛苦を重ね達成の日の目を見た木村氏の物語にて、 読む者に感動を催させしめるに違いないのは、 NHKで放映され評判を取ったと云う番組の唯の転載ならぬ筆者石川拓治氏の筆力も相俟ってのことは確かとは云え、 其の木村氏の執念ともつかぬ求道者の修行が如き行跡なればこそと感じます。
就中、遂に自決を決意した木村氏が月の谷間に丸々太った野生の林檎を見つけるシーンは圧巻です。
紙面には木村氏の語り口も再現され、 陸奥の国、青森県には古より多くの語り部の登場したとの話にも肯ける様な調子で記述されるも、 又、本書に惹き込まれる要因として挙げられる様に感じます。 今や幾らに値付け様とも飛ぶ様に売れる筈の其の林檎には、 無農薬の林檎が普通になることを願い、尋常の値の与えられているとのことです。
願わくば、 花鳥から昆虫羽虫、小動物に至る迄、我が物顔に駆け巡り花咲く野良の、 生い茂る雑草を掻き分け掻き分け辿り着く立ち木を見れば撓わに実る奇跡の林檎を、 捥ぎり其の場で齧りついてみたいものです。
追記
(2018年3月3日)
世の中の事象は様々な角度からの見方があり、
本記事に配信した木村氏の林檎栽培に関する方法論も例外ではありません。
一方からの視点だけでは偏向無きにしも非ず、精確さを欠くのは無理からぬ処でしょう。
特にNHKで放映されたからと言って必ずしも正鵠を得ているとは限らないのは、 歴史カテゴリーなどに於いては折々、大向こう受けのためならば如何様にも操作された恣意的内容も意に介さず、 タレント学者を用いて論拠もなく粗雑な主張を展開するのは屡々見られ、 其れが為に史実が捻じ曲げられるのは残念ながらままある事象です。 NHKと言う一組織の偏向した視点で取り上げられた内容が事実として世の中に通用してしまうのは、 避け得れば避けたい処ですし、現代のネットの発達した社会であれば可能でしょう。 而して此の追記に2件、木村氏の方法論に異を唱える記事を取り上げる処です。
奇跡のリンゴのその後 ―ニセ農業からニセ医学へ上記リンク先はバッタもん日記に2018年2月12日、 配信された記事で主に木村氏の医学的な主張に異を唱えるものですが、 執筆者が過去に木村氏への林檎栽培の方法論への辛辣な反論を展開したまとめともなっています。 本追記にも以下にバッタもん日記の2013年中の 6月から3ヶ月間に渡る過去記事へのリンクを貼り置きましょう。
バッタもん日記執筆者の木村氏への批判として主張する要点は、 数値を以て表わされるべき収穫量、無農薬、巧みなストーリーテリングに因る印象操作、 などが挙げられるでしょう。 無農薬については参考資料として 松永和紀 氏の文責になる書籍 食の安全と環境−「気分のエコ」にはだまされない (シリーズ 地球と人間の環境を考える11) が挙げられています。 其の物語を耳にしてから一度其の奇跡の味を味わってみたいと思いながら十年ひと昔となった今、 一向に市場に出回らず、未だ口にする処か目にすることも耳にすることさえなくなった奇跡の林檎なれば、 ざっと目を通すだけでも上記バッタもん日記記事連に説得力の感じられるのは否めません。
上記記事を受けて自らの正直な印象に力を得たものか否か、 Hagex-day info の2013年6月27日の記事では木村氏への批判内容が諧謔と嘲笑を込めて簡潔にまとめられています。
奇跡のりんごのモデル木村秋則さんが書いたオカルト本が凄い門外漢には凡そなかなか評価の難しい事象については様々な角度から鑑みて自らの意見を持ちたいものです。